2009年8月24日月曜日

松田奈緒子「少女漫画」

ひとつ前のエントリで書いた予告通り松田奈緒子「少女漫画」について書きたいと思います。

実は昨夜蝉丸Pこと坊主めくりの仁鐵さんがほぼ毎週放送されてますUstreamの生放送でこの本について語ってまいりました。以前から読んでいたサイト管理人さんの放送ということで今まで何回か放送を聴いてはいたわけですが、
Twitter / 蝉丸P: USTにて語りたい漫画のある人、題名を添えて手ぇあげて~ノ
という発言に思い切って手をあげてみたら通ってしまったという。いかに私がチキンとは言え自分で挙手したからには吐いたツバ飲まんとけやという声がどこからか聞こえてくるような気がいたしましたのである程度テキストエディタにまとめてから本番に臨んだわけですが、いやあ大分暴走したような気がしないでもありません。聞いてらした方がもしこのエントリをお読みでしたらお聞き苦しい点が多々ありましたことをまずお詫びいたします。

では続きよりまとめメモに基づきまして内容ネタバレあり感想など。長いですよ。


この「少女漫画」は全6話のうち5話のタイトルを文字通り少女漫画の名作から取っています。
  • 「ベルサイユのばら」
  • 「ガラスの仮面」
  • 「パタリロ!」
  • 「あさきゆめみし」
  • 「おしゃべり階段」

最終話のみ「少女漫画家たち」というタイトルになっていますがそれについては後述。

さて、「少女漫画ヒロインの王道」とはなんだろう、と考えたところで司る要素は三つ。

  • 自分の心に素直であること

  • 自分の夢に向かって努力を怠らないこと

  • 周囲を思いやる心を持っていること


この三つを兼ね備えている者がハッピーエンドを迎える資格を持つ、と言って過言ではないでしょう。ねじくれた性格で怠惰で周囲のことなどお構いなしというヒロインが幸せになるというのはもしかすると現実ではありうることですが、少女漫画のお話としては最後まで読んでカタルシスを得られるかどうかと言えば甚だ疑問です。そしてこの三つの要素はこの「少女漫画」に於いて全体を貫くテーマでもあります。

それでは各話の簡易紹介と共に気づいた点など。

「ベルサイユのばら」


この話の主人公は34歳派遣社員の三沢勝子。漫画が大好きで漫画評のブログもやっているが一番好きなのは「ベルサイユのばら」。今好きなのはスラーコ連載中の麗束薔子(うららつか・しょうこ)「魔のアリアス」。
派遣社員の厳しさから逃避するために漫画を読み漁るように当初は見えるが、周囲の状況を冷静に見据える眼と他人の身になる思いやりを持っている。派遣仲間から「オスカルの心を持ってるよ」と言われた彼女が派遣社員の待遇向上のため、ひいては会社全体を革命するために突き進んでいく――


小ネタとしては社食の壁に掛かっている額縁に「自由・平等・博愛」と書かれているのにニヤリとしました。フランス革命のテーマでもあり現在のフランス共和国の国旗であるトリコロールカラーが意味する概念でもあります。

「ガラスの仮面」


帝都放送のアナウンサー万城目雅がこの話の主人公。映画監督の父と女優の母を持ちハイヤーで出勤していることから姫川亜弓になぞらえられたり「セレブアナ」と言われているが「冷たそう」「お高く止まってる」などと曲解されてプライムタイムのニュースキャスターを下ろされてしまう。その後釜を狙うのが後輩の丸美。ディレクターや一般人には愛想がよく豊満な肢体で男性受けはいいがアナウンサーとしての技術はないに等しい。
その丸美がキャスターの座を色仕掛けで浚っていった。「雅先輩が姫川亜弓なら丸美は北島マヤってとこかしら?」と嘯く丸美に雅は憤りを感じる――

先述の「少女漫画のヒロインの条件」がおそらく最も顕著に出ています。姫川亜弓同様に生まれついて持った環境の上に努力を重ねてきた雅がこのまま丸美に膝を屈するのか、本当に丸美は雅にとっての北島マヤなのか、ヒロインの条件に基づく結末までの納得いくエピソードと共に一気に引き込まれていきました。
ちなみに雅の父親の名前は「万城目学」で実在の作家さんと同姓同名になっていますが、雅の苗字の読みは「まんじょうめ」ですのでお間違いなきよう。個人的には鈴宮和由「ブリザード・プリンセス」を読んでいたので実在作家さんも「まんじょうめ」さんだとすっかり思い込んでいましたがあの方は「まきめ」さんなのですよね。

「パタリロ!」


主人公花子の一粒種・一は見た目パタリロそっくりな乳児。児童館のママサロンで一緒になった元モデルの浅田に勧められた教材を一に与えるが、レコーダーに水を掛けたり冊子を破ったりする一に手を上げようとして自分の母親としての身勝手さに気づく。
一方の浅田はシングルマザーの家の子供を見下したり、ピアノもバレエも好きと言わない娘・綺香(実は虫好き)の腕をつねり上げたりしている――



この話の筋自体は「パタリロ!」に基づいたものではないように見えます。しかし一の顔がパタリロにそっくりなだけかと言えばさにあらず。この話のみ漫画にスクリーントーンが使用されていません。服の模様から背景から全て効果はペンと手書きです。「パタリロ!」の原作者である魔夜峰央氏は元々スクリーントーンを多用される方ではなく(エッセイコミック「親バカの壁」にも関連記述あり)、それに倣ってトーンを使わない手法を取り入れる点でなるほどリスペクトであるなあと思います。

「あさきゆめみし」


図書館司書・由布子と関係を持つのは出入りの出版社営業・上薗。浮気性の父を持ち恋愛に夢を持てない由布子は昔からの彼女がいる上薗と割り切った関係を続けていたはずだったが――




「女は全ての姫になれなくても 六条御息所にはなれるのだ――」という地の文が含まれる見開きからのラスト6ページは非常に圧巻。寄せては返す波のような思いが凝縮されています。
上薗に関してはいくら光源氏がモチーフとは言え、話が違えば"Nice boat."されたとしてもおかしくはないと思います。直接的な言い方を許していただけるなら、「ちんこもげろ」と。

「おしゃべり階段」


パリコレ経験があるモデルのキワコは自分のセレブイメージと正反対である実家のラーメン屋を恥じている。そこへ7年前にサッカー留学した初恋の幼馴染・剛太が戻ってきてラーメン屋を継ぐと宣言した――


恥ずかしながら実はこれだけ原作未読でありまして、原作との関わりという視点から語るのが現時点で不可能であります。しかしながら原作から引用されている
「自信があるところとないところを天秤にかけて丁度つりあうのが魅力的な人間」
という言葉がキワコの心を表しています。その天秤は時に大きく揺れてキワコの心を大きく動かしますが、その天秤の行方は最後まで目が離せません。
上昇志向のモデルが主人公、また「天秤」というキーワードから連想させる事柄において「ビッチ(笑)」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この筋を男女逆転させてみたら今の青年漫画で見受けられる話とそんなに変わらないと思います。もしくはギャルゲで好みのヒロインとのエンディングを選ぶのと違いはどこにあるのかと。

「少女漫画家たち」


売れない漫画家、俵あんの担当がベテランの五百旗頭(いおきべ)から新人の笹路に変わる。単行本の話に浮かれるあんだが現実には思うように行かないことがたくさんある。そんな時出版社のパーティで「少女漫画の神様」の話を聞いて――


第1話冒頭に出てきて以来、第2話以外何らかの形で出てきた俵あんの物語を縦軸に、これも第1話冒頭に出てきた王道中の王道を描く人気作家、麗束薔子の存在を横軸に今までのエピソードが集約に向かっていきます。
「現実的すぎて夢がない!」とネームを没にされて怒るあんが、笹路の説く「少女漫画表現のリアル」や同期デビューのポン太がタバコをふかしながら静かに語る「男が少女漫画を読まないわけ」、先輩漫画家春菜の「少女漫画を描く理由」などを聞いて自分にとっての少女漫画とは何か、を見つけていく様子はそれまでに張られた伏線を一気に回収するかのようです。
かつて正統派少女漫画を描いていた現在ギャグ漫画家の鼻血ブー子が出会った「少女漫画の神様」の言葉、

お前は自分の魂に忠実か? それは本当にお前の描きたい事か? それは 私を 喜ばす事が出来るのか?

はいここ重要。
Ust出演のためのメモをまとめながらこの台詞を写して気づいたのですが、
「自分の魂に忠実か?」=自分に素直であること
「本当にお前の描きたい事か?」=自分の状況を把握しているか、誤った方向の努力をしていないか
「喜ばす事が出来るのか?」=他者の立場で考えているか
前述のヒロインの条件と合致しています。「ああ自分の思ったことは間違いじゃなかったんだ」と思わずガッツポーズも出るってものです。
そして謎が多いとされていた麗束薔子の存在がいかなるものだったかが明らかになるにつれ、「少女漫画の魂」とは何かということも読者の前に差し出されていきます。

全6話の登場人物の中では、三沢勝子と万城目雅が他の話にカメオ出演的な扱いで出ています。つまり一つ一つが独立した話でありながら同じ世界の中で紡がれた物語として最終話で織りあがってくるわけです。その構造の妙、各話ごとの物語のうねりが読むごとに加速していき最終話ラストまで到達するカタルシス、ブレのないテーマ、その要素全てが「少女漫画の魂」を形作るものです。
先達の築き上げてきた少女漫画の道筋がこの「少女漫画」によって現在も脈々と繋げられているのだと認識するにあたって、これまた先達の言葉を一部変える形になりますがこう言わざるを得ません。
“全ての少女漫画に、ありがとう”


※回収し忘れ小ネタかもしれないもの


最終話であんの担当に付く笹路のフルネームは「笹路亀治」と言います。彼が担当についてからあんの状況が変わっていく様子はプロデューサーに恵まれてブレイクしていく歌手を見るようですが、初期ユニコーンを担当したプロデューサーが笹路正徳氏、椎名林檎のプロデューサーの一人であり東京事変のベーシストでもあるのが亀田誠治氏であり、両プロデューサーの名前が笹路の名に含まれていると考えると、新人編集者でありながら笹路はあんにとってのプロデューサーだったという解釈も出来るのかなーと思います。MMR級に強引なのでこのへんは話半分にお受け取りいただければこれ幸い。

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