2015年1月24日土曜日

【mixiより転載】太秦ライムライト見てきた日記

 ※昔見た映画の感想文をmixiから転記しています(2019.02)

イン・ザ・ヒーロー見てきた日記( )で比較されてるので見たい、と書いていた太秦ライムライト、地元の映画館でなんでか上映してたので見に行ってきました。なんでか、とは言うものの公式サイト見たら明日1/24(当時)に太秦でDVD発売イベントやりますのね。なるほどそれでか、と膝をポンと打つ四十路の冬。
例によって内容にガンガン触れますので昨年公開の映画とは言えそこらへんダメな人は退避ですよー。

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見たいと思ったのはこのレビューがきっかけでした。
公開が少し遅かったな - ユーザーレビュー - イン・ザ・ヒーロー - 作品 - Yahoo!映画 
確かに似たようなシーンはいっぱいあるんだ。ベテランが新人を導いて、何も知らなかった若者がスポンジのようにみるみる吸収して伸びていく姿。長年酷使してきた身体はもうぼろぼろだけど周囲には言わないベテラン。不遇のベテランに降って湧いたチャンス、その現場には導いてきた若手とベテランと長い付き合いの大御所俳優。
これだけ似通っていると比較して上げ下げしてみたり後発が先発のパクリだーと言ってみたりする人もいるのかもしれないけど、じゃあなんでこんなに印象が違うんだっていう話ですよ。

イン・ザ・ヒーローはスーツアクターもヒーローなんですよ。自分がヒーローだと思って、誰かに夢を与えてその夢から力をもらってまた走り出す、それが脈々と続いたヒーロー像だと思うんです。諦めない姿はかっこいい、努力の果てが見えなくて辞めていく仲間もいるけれど俺はヒーローを諦めない、ってのがイン・ザ・ヒーローの本条渉。ちりばめられていた各種お約束もヒーロー番組のリスペクト。
一方の太秦ライムライトは斬られ役。齢70を迎えてずっとフィルムの中で斬られ続けていた男。時間が空くと撮影所の使われてないセットの露地で黙って木刀を振り続け、どう斬りかかったら、どう斬られたら、というのをひとりでひたすら続けるストイックな男、香美山清一。夢や野望などない。時代劇の現場に関わり続けていられれば、居場所があれば、それで。
これだけ主人公の、大袈裟に言っちゃうと「魂のあり方」が違えば同じような話でも違う印象になるのは当然。上記レビュー主の中では太秦ライムライトに軍配が上がったみたいだけど、自分の中ではどっちも好きだしどっちにも瑕疵があるようには見える。こまけぇこたぁいいんだよ、でお馴染みのアバウトさに定評のあるともか40歳(中年)ではありますが、ラスト前の雑魚ボスプロデューサー(太秦ライムライトだと合田雅吏、イン・ザ・ヒーローだと加藤雅也)の唐突な改心は少々目についたかなーと。今作の方がどこで時代劇軽視から香美山リスペクトに切り替えたのかが全く見えないために余計に疑問符が舞う。あとは若き日の香美山に優しく声を掛けた「太秦城の姫様」が萬田久子だと実年齢的にギャップがありゃしませんかい。いや、実年齢が香美山の70歳に近いけど萬田久子並みに若く見えますって設定だと言われたらそれはこちらとしては、ええ。

ああいかん、先にマイナスっぽい方向に針が振れてしまった。切り替え。

この映画は福本清三さんを中心に持ってくるための映画だというのは間違いないと思う。役名の「香美山清一」も名字は恐らく氏の郷里である香美町(正確には合併前の香住町らしい)から取っている。
仕出し俳優(この言い方はみなもと太郎先生の漫画で覚えました。仕出しのバイトなさったことがあるそうで。閑話休題)として長年太秦に通い、演技課長や殺陣師の信頼も厚く後輩からの信頼も厚い。稽古の際に携えるのは若き日の自分を引き立ててくれた往年の名優・先代尾上清十郎から賜った尾上の名入り木刀。先代の「斬られ方が上手い」という一言が香美山をずっと支えてきた。しかし撮影所を出れば待っているのはひっそりとした生活。小さな一軒家(恐らくは借家)に一人住まいで若くして亡くした妻の遺影が待つ。一人で飯を作り一人で食べ、庭で盆栽をいじる。往年の名女優が営む小料理屋に仲間と行くことでもなければ、いや、その時でさえほとんど静かに黙している。
メインの仕事だった時代劇シリーズが唐突に終了し、言いがかりのような事件の責任で仕事を干された時、演技課の若手がチャンバラショーの仕事なら、と声を掛けた時に演技課長が制止する。この人は映像の世界で長くやってきたんだ、そんな仕事をやらせるな、と。結局香美山はショーの仕事を受けるのだけれど非常に居心地悪そうにしている。見世物だと開き直れていればまだ良かったのかもしれないが、香美山は昔気質の男でそんな器用には振る舞えない。本当に香美山が「生きている」のはカメラの前でだけなのかもしれないと思わせるほど、稽古の時以外でカメラの無い場所では居心地悪そうだ。

そんな香美山に弟子入りし、見る見るうちに立ち回りを覚えていきヒロインの吹き替えからヒロインの代役としてスター女優への道を歩み始める伊賀さつき。亡き父が命名したさつきという名は「太秦城の姫様」のかつての役名。香美山に亡き父の面影を重ねつつ人間性にも惹かれていく。さつきを演じる女優さんも見る見るうちにきびきびとした身のこなしになっていくのでどれだけ練習したのかなーと思ってたらご本人が太極拳経験者でジュニアオリンピックの槍やら長剣やらのメダリストだそうで納得。

香美山の鏡前にはチャップリン「ライムライト」のミニポスターが貼ってあるんだけど、タイトルの通り同作がモチーフになっていてストーリーをなぞるようにさつきはスターダムを駆け上がり、逆に香美山はじめ太秦の時代劇を支えた人々は苦境に立たされる。太秦を見限って上京しようとする野心家の若手天野、廃業してラーメン屋に転職するチャンバラショー仲間の松本、どうして中心に立って時代劇を盛り上げてくれないんだと憤るさつきの先輩野々村、若手が少しずつ抜けていき、殺陣師の東も引退、チャンバラショーもリストラのために終了となる。当の香美山も刀をきちんと握れなくなり(職業性ジストニア?)引退して田舎に帰る。太秦に凱旋したさつきの赤いドレスと、誰も使われなくなった道場で埃にまみれた木刀や小道具の対比が物悲しい。
やがて、かつて出演していた時代劇の劇場版にて当代の尾上清十郎とさつきがダブル主役となり、敵役として指名される香美山。「また、斬られてくれるか」と声を掛けられたものの彼は右手のみならず左手にも力が入らない状態で、一時は監督の判断で降板の決定が下されそうになるも、集合したかつての仲間達やプロデューサー、尾上の口添えで続行が決定、そして。
さつきに斬られ、大きくのけぞった後倒れた香美山に桜の花びらが降り注ぐ。「ライムライト」を踏襲するなら香美山は絶命しているはずだが決定的な描写はなく、ただ静かに花弁がはらはらと舞って映画は終わる。どちらとも取れるような気はするけれど、先述したようにカメラの前で刀を持ってこそ香美山清一が「生きている」のであれば、恐らく最後の殺陣となっただろうシーンが終わり倒れたところで香美山は「死んだ」のだろう。田舎に引っ込む前の最後の仕事は客足もまばらなチャンバラショーで、それで一度「死んだ」のならばそれは到底納得のいかない死であったろう。尊敬していた名優の息子であるスターと自分が育てた弟子に斬られて終わる死ならばこそ香美山にとっては本望だったのではないだろうか。

さて丁寧語が吹き飛んだのに今更気づいたものの続行。
時代劇を嫌う元大部屋俳優のプロデューサー役は上述の通り合田雅吏(水戸黄門の5代目格さん)、時代劇を軽視し大部屋俳優にも居丈高な監督の和田役は市瀬秀和と、時代劇を愛しているであろうお二人がこの役というのは皮肉なんだか愛ゆえに正反対の役をやれるということなんだか。
松方弘樹演じるスター、尾上清十郎。父親の名前を襲名してるという設定(ちなみに先代を演じるのは小林稔侍)だが、どう考えても近衛十四郎から来たネーミング。二世つながりということで言えば仁科貴(川谷拓三の息子)と穂のか(現・石橋穂乃香、石橋貴明の娘)もキャストに名を連ねている。

それにしても先述のレビューに恨みがあるのかと我ながらびっくりだけれども、イン・ザ・ヒーローと太秦ライムライトで松方弘樹が演じた役が主役にかける言葉の違いに関して重みがどうのと書いてあるけれども、目を掛けてた若手のチャンスのために盛り立ててやろうという大御所の心意気と、同じ夢を共に生きる同志と再びカメラの前で刃を交えられる喜びとを同列に語ろうってのがそもそも間違いじゃないのかと。

ぬー、結局反発がきっかけだと反発が言葉を染めてしまうなあ。次回映画の感想文を書く時にはもっと楽しく書きたいもんです。まあなんだ、言いたいこととしては太秦ライムライトも見た方がいい映画の一つであるっつーことです。合言葉は「こまけぇこたぁいいんだよ」または「Don't think,feel」で。

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ちなみにこちらを書いた翌日に自分でコメント付けてた覚書がこちら。
丸一日たってやっと端的な言い方を思いついた。
イン・ザ・ヒーローは内なるヒーローを諦めない人たちへの応援歌。
太秦ライムライトは死に場所を定めた侍へ捧げる挽歌。

なんで昨夜のうちにこれが浮かんでこないかなー
  本文に折りこもうと思ったんですが当時の勢いをそのままお送りするためここに追記いたします。

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