2014年2月21日金曜日

思い出は味噌とかぼちゃの味

山梨には学生時代と新卒時を含めて5年以上住んでいたのでこの度の大雪での被害には非常に心が痛む。今のところ公式の募金先というのもアナウンスされていないのでしかるべき時期に観光に訪れて現地にお金を落とすのがベターであるような気もする。
彼の地にはいい思い出ばかりというわけでもなかったが、この時期になると温かく、しかし後ろめたい記憶がひとつある。

夫とは学生時代から付き合っていたのだが、ある冬どちらともなく言い出した。
「ねえ、ほうとうって食べたことある?」
二人とも他県出身であり、山梨の郷土料理であるほうとうを食したことはなかったどころかどんなものであるかさえもよくわかっていなかった。うどんのようでうどんでないらしい、その麺を味噌味の汁で煮込んでいるらしい、なんとかぼちゃも入っているらしい、などと伝え聞いてはいるものの情報だけでは全く見当がつかない。ほうとうを専門に出す店もあると聞いてはいたがそこまでは車なしで行くのは厳しく、何よりその時私達は空腹であった。

私達は大学の近くにある食堂へと歩き出した。道すがらにラーメン屋などもあったが、頭の中は未知なる献立でいっぱいだった。
「すいません、こちらはほうとうってありますか?」
「うちではやってないねえ」
何度も足を運んでいる町の定食屋さんというたたずまいの店で訊くと、おかみさんは申し訳なさそうに答えた。この辺で出している店も知らない、とのこと。

後々この日の話を地元出身の同期にしたところ、
「何言ってんの、ほうとうなんて家で作って食うもんだよ。わざわざ店で食うなんて」
と言われた。

今にして思えばきっとおかみさんも同じ感想を抱いたのだろう。しかししょんぼりする馬鹿大学生(当時)二人を不憫に思ったのか、おかみさんの口から意外な言葉が発せられた。
「店で出すものじゃないけど、お父さんのごはんに今ほうとうを作ってあるんだ。良ければそれを出してあげる」
流石にそれは申し訳ない、と言ったのだがおかみさんは遅番で未だ職場にいるお父さんに電話をかけて事情を説明までしてくれ、私たちにほうとうを出してくれた。
初めてのほうとうは、それはそれはおいしかった。今その味を思い出して再現しろと言われても出来ない程に遠ざかってしまった記憶ではあるが、わけのわからない学生にふるまってくれたおかみさんの気遣いと、本当なら自分のごはんだったろうに出してよいと言ってくださった顔も存じ上げないお父さんへの申し訳なさとは寒くなるとふとした折に顔を出す。

「あの時、どのくらい払ったんだっけ。えらい安くしてもらった気がするんだけど」
たまたま近所のスーパーに売っていたほうとうを煮込み、夕食に出した折に夫に訊いてみた。
「多分1杯500円くらいだったと思う。うどんよりもちょっと高めにしたんだろ」
ああそうだ、確かうどんが1杯300円ほどだった。食堂なのでお金はもらわないといけない、でも家庭料理で高額を取るのも、というおかみさんの落としどころとしての価格だったのだろう。
「俺、あの時のほうとうには今なら倍出すわ」
「そだね」
若かりし頃の無知と恥知らずを優しく包んでくれたあの店に思いを馳せてほうとうを啜った。

暖かくなったらまたあの町に行き、あの店で食事をしたい。今度は無茶を言わないで、町の定食屋さんで食べられる普通の定食を、普通に食べられる幸せを享受したい。

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